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2020.06.08
『奈良の大仏さま』と『薬師如来さま』に託した先人の想い
古都、奈良、京都に行くとたくさんの神社、仏閣があります。
特に寺院には、仏教の宗派によりますが、ご本尊さまの『仏像』があります。
特に有名なのは、『奈良の大仏さま』でしょう。『盧舎那仏』と言われ、元々、託された願いは
『疫病の治癒』というものがあります。
古都、奈良の平城京が長く続かなかったのは、疫病のまん延が多くあり、それがなかなか治癒に
至らなかったことが挙げられます。
平安京の京都と大きな違いは『水』があるか、ないかの点だと言われております。
京都の『水』は、琵琶湖からの『水』でまかなわれていると、思われますが、実は、京都には、
豊富な「地下水」が存在したのです。それも琵琶湖の貯水量以上のものだったと言われております。
(現在では、地下鉄の工事や様々な開発により、枯渇しているようです)
やはり『水』があるか、ないかで生活や文化に大きな影響を与えます。
どの国も川すなわち『水』によって文化が形成されております。
京都も『茶道』『華道』など、水とは縁のある文化が栄えました。
また、公衆衛生的にも、地下水により、井戸できれいな生活水を手に入れることができ、
そこに集落の人が集まり『井戸端会議』の語源となっております。
地下水を利用して、銭湯(公衆浴場)が整備され、清潔な生活を早い時期から送れたそうです。
(京都には、たくさんの銭湯が残っておりますが、海外資本の高級宿泊施設の台頭により、その
銭湯もなくなりつつあります)
京都の寺院でご本尊として『薬師如来像』をおまつりしている寺院が多くございます。
『薬師如来像』は、人民を疫病から守るための願いを託された仏さまです。
片手には、『おくすり』を持って、人民を救うために、おまつりされております。
こうして、日本人は、見えない『疫病』に対して、見えない『力』を借りて、
乗り越えてきた事がよくわかります。
『誰かのことを、遠いどこかで想い、その人のために願う』
京都に行くと、その素晴らしい日本の文化ともいえる日本人の心意気が感じられます。
この『願い』や『想い』をこれからも、後世に『託して』いける世の中であってほしい
と、願います。
2020.06.05
来月1日から、大手コンビニ「レジ袋」有料化へ
大手コンビニの三社(セブンイレブン、ローソン、ファミリーマート)は、来月1日から「レジ袋」の
有料化をスタートさせる。プラスチックゴミの環境破壊への配慮のためと言える。
今年は利用していないのですが、スタバも確か、アメリカの法人はプラスチック製のストローを
廃止したとニュースで見ました。日本のお店はどうだったか、最近、打ち合わせが減ったもので。
確かに、クジラの死骸には、たくさんのプラスチックゴミが残っていたようです。
人工的に作ったものですから、自然界での自浄作用によって処理できませんよね。
思えば、身の回りの物、「プラスチック製」のものばかりですよね。
文具、事務用品、等々。便利なものは、やはり、どこかで不利益なところが出てくるものですね。
この話題で、私が思い出したのは、幼少の頃、「フロンガスの排出を減少させる」「オゾン層の破壊を止める」
と、耳にしていたのですが、ここ数十年、聴いていないですよね。「オゾン層」は、どうなったのでしょうかね。
環境問題が「トレンドワード」になりますが、その後の検証結果を聴いた事がありません。
「地球温暖化」が「気候変動」になったり、やはり、環境問題を「トレンドワード」にしては、
いけないと、個人的に思います。なぜなら、「トレンド」は、「ブーム」と同じように終焉を迎えるからです。
人間が生きている以上、環境問題とどう向き合うか⁉永遠のテーマであり、課題だと思います。
2020.06.04
「空き家問題」と「野生動物たちの住処」
新聞の動物行動学の研究者の方が興味深い記事を掲載されておられました。
「人間界の空き家問題によって、野生動物たちの住処がなくなる」
えっ‼と、思いましたが、昨日、東京で鹿が街中を徘徊しているニュースを見て、
「ガッテン」(合点)しました。
数年前から、山間の集落を「限界集落」と呼んで、お年寄りだけで、若者がいなくなり、
将来、住む人間がいなくなる、と言われてきました。(個人的に「限界集落」という言葉は、大嫌いです)
もう既に、無人になった山間の村も存在するそうです。と、同時に空き家の問題が発生します。
この山間で生活されておられた方々のおかげで、人間界と野生動物の住処のいわば「住み分け」が出来ていたそうです。
野生動物たちは、山間部で生活しておられる方々が山の手入れをして下さっていたので、山林が荒れることなく、
山で食料も調達できていたようです。
しかし、無法者が山間部に生活される方々がいなくなると、監視の目もなくなり、産業廃棄物やゴミを山に捨てる様になり、
または、山林開発で自然に反する開発事業をしたため、山間部がますます、荒れ果て、近年の気候変動の大雨により、
山で野生動物たちは、「生活場所」を失ったそうです。
きちんと、山間部の方々が野生動物との人間の共存を知らぬ間に保って下さっていたんですね。
「野生のクマが出没した!鹿が街を徘徊している!」
野生動物からすると、生きるために人里におりて来ざる負えない状況かもしれません。
未だに田を宅地にして、造成して、新築の建物を建てている現状。
これだけ、「空き家」があるのに、活用しようと頭を使わない業者、士業。
せめて、このような状況を「コロナ禍」が、『怪我の功名』として、何か日本の社会に変化をもたらして
くれる事しか、この「コロナ禍」には、救いがないように思います。